祖母からもらった
手紙には、
なつかしい
字でこう
書いてある。
「
ごぶさたして
おりますが、
一日も
忘れたことは
ありません。
」
祖母が
亡くなってもう
二年
になるが、
私も
祖母のことを
一日も
忘れたことがない。
私の
両親は私が
子どもの時、
離婚した。父が
家に帰らない日が
続くと
思ったら、
家庭よりほかの
女性を
選んで
出ていって
しまった。
そんなわけで、母は
事務員
として
働きながら私と
弟を
一人で
育てなければ
ならなくなった。
大学を
卒業していない母がもらえる
お金は
少ない。
毎晩
遅く
疲れた
顔をして
帰ってくる母と私と弟の
三人の
生活は
しずかだった。
日本ではまだ
離婚が
めずらしかったので、
近所の人の目が
気になって、
外で遊ぶのが
嫌になって
しまった。
しかし、
それほど
寂しいと
思わなかったのは、
祖母の
おかげだ。
祖父が
亡くな
ってから、
となりの家で
一人で
生活していた
祖母は、
庭に
色々な
野菜や
果物を
植えて
大切に
育てていた。
祖母の
作って
くれる
和食は私には
最高の
ごちそうだった。
留学することになった時、
祖母は
自分のこと
のように
喜んでくれた。
「
私も
もっと
若ければ、
アメリカまで会いに
行けるのにねえ。
アメリカで
教育が
受けられるっていうのは
すばらしいねえ。
」
日本を
発つ日がやってくると、
空港へ
向かう
タクシーの
後ろを
私の
名前を
何度も
呼びながら
追いかけてくれた。
どんどん
小さくなっていく
祖母を見
ながら、
次に
会う時も
祖母が
元気でいて
くれる
だろうかと
心配になった。
母から、
何だか
祖母の
様子が
おかしい
という
連絡があった。
日本に
帰ってみると、
私の
名前さえ
思い出せなくなっていた。
何度も
同じことを
聞いたり、
一日に
何回も
同じ
店に
同じ物を
買いに行こう
とする
祖母に、
いけないとわ
かってい
ながら、つい
冷たくして
しまった。
おばあちゃん、
お礼が
遅くなっ
ちゃった
けど、
本当に
ありがとう。
もっとやさしくしてあげれ
ばよかった、と
いつも
思っています。