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●記事本文

読売新聞87/10/13 東京朝刊一面07段

ノーベル医学・生理学賞、利根川・マサチューセッツ工科大教授に 日本人7人目

 ◆多種の抗体が作られる遺伝的仕組みを解明

 スウェーデンの王立カロリンスカ研究所は十二日、一九八七年度のノーベル医学・生理学賞を、利根川進・米マサチューセッツ工科大学(MIT)教授(48)(文化勲章受章者、マサチューセッツ州在住)一人に授与する、と発表した。日本人のノーベル賞受賞者はこれで七人目。うち自然科学分野では物理学賞三人、化学賞一人が受賞しているが、医学・生理学賞は初めて。海外での研究二十四年の利根川氏の先駆的な業績により、医学、生物学界の悲願がやっと達成された。二百十七万五千スウェーデン・クローネ(約五千万円)の賞金は、同賞の創設者アルフレッド・ノーベルの命日にあたる十二月十日にストックホルムで行われる表彰式で手渡される。(関連記事2・3・社会面に)

 【ロンドン十二日=山口(瑞)特派員】ノーベル医学・生理学賞を選考するカロリンスカ研究所は、利根川氏がさる七六年、「多様な抗体が作られる遺伝的原理」を明らかにした先駆的な論文を発表したことを受賞理由にあげている。

 同研究所は「利根川氏は、一連の卓越した実験により、幼弱な細胞が抗体を生産するBリンパ球に成熟する過程で、バラバラに存在している抗体の遺伝子がどのように再構成されるかの発見に成功した。この発見に次ぐ二年間、利根川氏は、世界におけるこの分野の研究を完全にリードした」と利根川氏の功績をたたえた。

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 利根川教授は、ウイルスやバクテリアなど病原体からわれわれのからだを守っている「抗体」の遺伝子の研究に遺伝子工学の方法を導入し、それまでナゾに包まれていた抗体分子がつくられる仕組みを明らかにした。また、この研究の過程で、生命の単なる青写真と考えられていた遺伝子が、個体の成熟に伴ってダイナミックに動くという驚くべき現象を発見。最近は、免疫活動の要(かなめ)になっているリンパ球(T細胞)の受容体の研究でも成果を挙げている。

 同教授の研究などを契機にして、それまでバクテリアなどを相手にしていた分子生物学は、人間を含めた高等動物へ向かうこととなり、分子生物学は新時代を迎えた。

 ◆59年に文化勲章を受賞

 〈利根川進(とねがわ・すすむ)教授の略歴〉

 昭和十四年九月五日、名古屋市に生まれる。二十七年、富山県・大沢野町立大沢野小卒。東京・大田区立雪谷中から都立日比谷高へ。三十八年、京大理学部化学科卒。同年九月、米カリフォルニア大(サンジエゴ校)生物学系大学院に入学。四十三年六月、バクテリオファージ(バクテリアに感染するウイルス)の研究で博士号取得。

 四十四年五月、米ソーク研究所研究員。四十六年一月、スイス・バーゼル免疫学研究所主任研究員。五十六年九月、米マサチューセッツ工科大生物学部およびガン研究所教授。

 五十八年、文化功労者、五十九年、文化勲章受章。

 五十三年、マックス・クロエッタ賞(スイス)、五十七年、朝日賞、ホロビッツ賞(米)、六十一年、ブリストル・マイヤーズ賞(同)、コッホ賞(西独)、六十二年、ラスカー賞など受賞。六十一年には全米科学アカデミー外国人会員に選ばれている。

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 ◆ホームランの連打

 ノーベル化学賞を六年前に受賞した福井謙一・京都工芸繊維大学長の話

 「これまでお会いするチャンスはなかったが、心からおめでとうと言いたい。私の受賞後、毎年だれが受賞するかと期待していた。利根川さんは私と専門は異なるが、どの仕事一つ取ってみても素晴らしく、まるでホームランの連打だ。ついこの間も『ラスカー賞』を受賞するなど、毎年賞をいくつか取っていた。だから、ノーベル賞も近いと思っていた。お若いので、今回の受賞を一つのステップとして、第二、第三のノーベル賞を取れるように仕事内容を充実させてほしい。これを契機に、さらに日本からノーベル賞受賞者が出てくるだろうと思う」

  〈ノーベル賞の日本人受賞者〉

1949年 湯川 秀樹氏(物理学賞)=故人

1965年 朝永振一郎氏(物理学賞)=故人

1968年 川端 康成氏(文学賞)=故人

1973年 江崎玲於奈氏(物理学賞)

1974年 佐藤 栄作氏(平和賞)=故人

1981年 福井 謙一氏(化学賞)

1987年 利根川 進氏(医学・生理学賞)