当麻マンダラ

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はじめに

この曼陀羅はオーストラリア出身で長年京都に居られた著名な仏教詩人、故ハロルド・スチユアート先生が三〇年近く前に京都で購入されたものである。縦111センチ、幅90.5センチの木版画に着色した掛け軸様式で、極彩色に純金を使い、浄土の荘厳と『観無量寿経』の概要を善導大師(613−681)の注釈書に基づいて巧みな筆致で描き出している。伝説によると、右大臣藤原豊成の子女、中将姫が763年に亡くなった母を慕って大和の当麻寺(たいまでら)で出家し、法如と名ずけられた。弥陀を見奉りたいと一心に願った結果、ある日、尼さんが現れ、その望みを叶えるために蓮の茎を馬百頭分集めるように、と言った。父の助けによって三日間でそれを準備した後、尼さんの指示に従って境内に井戸を掘り、その水で蓮の茎から採った糸を洗った。すると糸は自然に五色に染まった。やがてもう一人の女の人が現れ、二人でお堂に篭もって一丈五尺四方の大マンダラを織り上げた。これが『観無量寿経』の内容を絵にした当麻曼陀羅である。法如が名を尋ねると、二人の女性のうち尼さんは弥陀であり、もう一人は観音であるとの答えをえたという。

独湛曼陀羅]当麻曼陀羅は鎌倉時代に入って広く世に紹介されることになった。法然上人のお弟子の証空(1177−1247)は原図の曼陀羅を拝して『当麻曼陀羅註記』を書き、曼陀羅を転写させたほか、印板を国内及び中国に流布させた。また増上寺の開基、聖聡(しょうそう)(1366−1440)は『当麻曼陀羅疏』を書いて、後世の曼陀羅研究に大きな影響を与えた。その後、四分の一、八分の一などの縮小版が多く作られ、徳川時代にはこの曼陀羅に対する信仰が隆盛を極めた。中国から隠元と共に来日して黄檗宗第四祖になった性瑩独湛(しょうけいどくたん)禅師(1628−1706)は当麻曼陀羅を見て感動し、自作の讃を付けたものを印刻して大いに普及に努めた。これは原図の十六分の一で、特に「独湛曼陀羅」と呼ばれている。ここに紹介する独湛曼陀羅は、中村次郎左衛門と吉田次郎右衛門が願主となって元禄四年(1691)に開版されたものであるが、三百年経った今も色鮮やかで、信仰の対象としてまた研究資料として貴重なものである。

 [表]

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[B]序分

 霊鷲山 (ch. 1)
1
_________

浄土を願う
(ch. 5)
11
10
________

苦を厭う (ch. 4)


________

母を監禁 (ch. 3)


_________

父王を投獄
(ch. 2)




_______________________









11 宝楼宮殿







6 樹下説法  





3 見 仏




_____________________
[A] 浄土の荘厳



13 虚  空



12 光  変



 9 中  庭




 8 阿弥陀三尊    


 7 台


 4 宝  池


 1 舞  楽
____________________________









10 宝楼宮殿







5 樹下説法





2 見 仏




____________________
[C] 定善

1 日想観
(ch.9)
2 水想観
(ch.10)
3 宝地観
(ch.11)
4 宝樹観
(ch.12)
5 宝池観
(ch.13)
6 宝楼観
(ch.14)
7 華座観
(ch.15)
8 像想観
(ch.16)
9 真身観
(ch.17)
10 観音観
(ch.18)
11 勢至観
(ch.19)
12 普 観
(ch.20)
13 雑想観
(ch.21)
____________________
[D] 散 善 ー 九品
___________________________________________________________________________________________________________________

下品下生(ch.30)
__________

下品中生(ch.29)
__________

下品上生(ch.28)
__________

中品下生(ch.27)
__________
5
中品中生(ch.26)
__________
  [E]

銘 文

__________
4
中品上生(ch.25)
__________
3
上品下生(ch.24)
__________
2
上品中生(ch.23)
__________
1
上品上生(ch.22)
__________

[注] 表中の章のナンバーは真宗聖典編纂委員会の編纂になる『浄土真宗聖典(注釈版』(1988年発行)で使用されている章のナンバーと同じです。また稲垣久雄英訳本の章ナンバーとも同じです。

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 構図と内容


内容と構図から見て全体を四つに分類できる。

(A) 浄土の荘厳      リンクをクリックすると大きな画像が見れます

中央の大きな区画は浄土の荘厳で、十三に区分される。@舞楽。一番下の中央に大きな舞台があり、新旧の往生人が歓喜と感謝の楽を奏し、舞いを踊っている。AB見仏(仏にまみえる)。父子相迎(ふしそうごう)とも言われている。舞台の左右、対称の位置に阿弥陀仏が立って往生人に接しておられる。C宝池。舞台の向こう側の池には上品中生以下、八品の往生人が蓮華の上に座している。DE樹下説法。左右の端に宝樹があり、羅網で飾られ、葉間に多くの宮殿がある。宝樹の下では阿弥陀仏が菩薩に囲まれて座し、説法しておられる。F。中央の阿弥陀仏の前には広い台があり、上品上生の人が合掌して座している。G三尊。正面の中央では弥陀説法印(証空の説では「三身の印」)を結んで宝蓮華座に座し、胸には卍(まんじ)の印が、そして手のひらと足の裏に千輻輪の相が鮮やかである。円光の後ろに四基の宝幢があり、頭上には華 模様の広大な天蓋が覆っている。左右に観音勢至が脇侍として侍り、その頭上に豪華な宝蓋がある。三尊の周囲を多くの菩薩が取りまいている。H中庭。三尊の背後の中庭で菩薩が遊歩している。IJ宝楼宮殿。中庭を取りまいて宮殿楼閣がある。諸処に仏の説法の座が見える。K光変。三尊の天蓋の上から光明が伸び、それが種々に変形して仏菩薩や塔を化作している。L虚空。上の虚空は荘厳が一杯で、天女の顏をした迦陵頻迦(かりょうびんが)などの鳥、天華・楽器が浮かび、雲に乗った仏菩薩の訪問が見える。虚空は下から黄(金色)・白・玄(青黒色、または紺青色)の三色の層になっている。

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(B) 序分

曼陀羅の左側に縦に十一の連続した絵がある。ここでは『観無量寿経』が説かれるに至った背景を、善導の『序分義』に基づいて述べている。各々の絵の左右の欄外に経文からの引用が説明として書かれている。@一番上は『観無量寿経』の始めで、釈尊が千二百五十人の比丘と三万二千人の菩薩と一緒にマガダ国の首都、王舎城郊外の耆闍崛山(ぎしゃくせん)(霊鷲山、りょうじゅせん)におられる。A下から四つが頻婆沙羅王(びんばしゃらおう)が王子の阿闍世(あじゃせ)によって幽閉されるに至った因縁で、先ず一番下は屋外で提婆達多(だいばだった)が神変を示して阿闍世の信頼を勝ち取る場景と、宮殿内で阿闍世が提婆達多から悪知恵を授かっている様子が描かれている。B阿闍世は頻婆沙羅王(びんばしゃらおう)を七重の牢獄に入れ、外に門番を配した。C 韋提希(いだいけ)夫人は身に食べ物を塗り、装身具の中に葡萄酒を入れて王に捧げ、D一方、王の願いで釈尊は弟子の目連(もくれん)と富楼那(ふるな)を遣わし、毎日王に八戒を授け説法せしめた。E白馬に乗った阿 闍世が牢獄を訪れ、門番から韋提希夫人と仏弟子の訪問のことを聞いて大いに怒り、F邸内に入って母を殺そうとした。それを大臣の月光(がっこう)と耆婆(ぎば)が思いとどまらせた。G韋提希は阿闍世によって宮中に幽閉されたので悲嘆にくれ、釈尊に目連と阿難を遣わして下さるように懇願した。その願いを知って釈尊は二人を韋提希の許に遣わされた。Hやがて釈尊ご自身が韋提希のところに現われる。宝蓮華に座す釈尊を拝して韋提希はひれ伏し、苦悩のない世界がないかお尋ねした。I釈尊は光明の中に十方の浄土を現わし、どの浄土に生まれたいか聞かれたところ、韋提希は弥陀の浄土に生まれたいと答えた。J釈尊の神力で韋提希や阿難は弥陀三尊を拝することが出来たが、いまや釈尊は未來の衆生に伝えてもらうために、浄土を観ずる法を阿難に語られる
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(C) 定善 ー 十三観

曼陀羅の右端は上から下に向かって定善(じょうぜん)十三観が『定善義』の解説に従って示される。@日想観。侍女を伴った韋提希が日没の太陽を観じている。罪業の軽重に従って白黄黒の雲が太陽を覆っているのを見る。A水想観。清浄な水を観念し、それが氷になり、次に瑠璃になると想う。B宝地観。極樂の大地は瑠璃で、その境界は七宝で出来ている。宝石から五百色の光明が出て、虚空で光明の台となる。その上に無数の楼閣、無数の華幢(けどう)や楽器などの荘厳が現れる。C宝樹観。瑠璃の大地の上に三本の宝樹が見える。宝珠や宝網に飾られ、網と網の間に無数の宮殿がある。D宝池観。八つに区分された池があり、蓮華が咲いている。岸の上には四本の木が生えている。E宝楼観。三つの宝楼があり、中央の楼閣内に蓮華座と左右に二人の童子が見える。F華座観。七宝の地上に阿弥陀仏の座る蓮華座がある。四本の宝幢が立っており、豪華な宝幔と宝珠が上に懸かっている。G像 想観。弥陀三尊の像が蓮華座の上にあるのを観ずる。二基の宝幢が弥陀の後方左右にあり、頭上に宝幔を戴く。H真身観。菩提樹二株の間に説法印を結んだ弥陀が座し、円光の中に化仏・化菩薩が見える。I観音観。宝冠の中に弥陀の像があり、全身より出す光の雲から、救うべき六道の衆生の姿と化仏が現れている。J勢至観。宝冠に宝瓶を戴き、円光から十条の光明を放っている。K普観。行者自身が浄土の蓮華の中に合掌した姿で生まれることを観ずる。空中には仏菩薩が満ちている。L雑想観。極樂の池水の蓮華の上に一丈六尺の弥陀三尊の像があり、種々の化身を現すのを観ずる。弥陀の円光中には化仏が三体見える。
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(D) 散善 ー 九品

曼陀羅の最下段は十に仕切られている。中央の区画[E]は当麻曼陀羅の縁起を記す。それを除いた九の区画が右から左の順に散善(さんぜん)の九品である。@上品上生。戒を守り大乘経典を読誦し、浄土を願生するものには、臨終に弥陀が聖者と共に迎えに来られる。空中には化仏と天女が来迎に伴っている。弥陀は来迎印を示しておられる。A上品中生。必ずしも大乘経典を読誦しないが、大乘の教えをよく理解し、往生を願うと、臨終に弥陀と聖衆の来迎にあずかる。聖者と化仏の数は上品上生の場合より少ない。B上品下生。因果の理法を信じ、大乘をそしらず、菩提心を起こして往生を願うと、臨終に弥陀と聖衆の来迎にあずかるが、屋敷には行者の姿は見えない。直接仏を拝することは出来ないが、仏の光明は簾(みす)を通して行者に至る。C中品上生。小乘の行者で五戒・八戒を守り願生するものは、臨終に弥陀と比丘の形をした聖衆の来迎にあずかる。D中品中生。一日でも戒を保って往生を願うものは、臨終に来迎にあずかる。蓮華台に座ると華は 閉じ、極樂の宝池に生まれる。図では聖者の持っている蓮華の中に行者がいる。E中品下生。平生、世間的な善を行い、臨終に浄土のことを聞き往生を願うと、仏と聖衆の来迎にあずかる。F下品上生。殺生をしたり酒を飲んだりする人でも、臨終に大乘の教えを聞き、教えられるままに「南無阿弥陀仏」と称えると、化身の弥陀三尊の来迎にあずかる。G下品中生。戒を破りお寺の物を盗んだりする者で、臨終に地獄の業火が現れる。この時、教えられるままに念仏すると、業火が天華と変わり、屋上の化仏菩薩となる。そして右上方、化仏菩薩に従って往生する。H下品下生。母を殺したり、僧を殺したり、仏具を壊すなどの大罪を犯し、殺生などの十悪をなす者が、臨終に善友の教えで称名念仏すると、金の蓮華を含んだ日輪が現れ、その中に納められて浄土に往生する。

 
[参考文献] 稲垣久雄著 『浄土三部経 英訳と研究』永田文昌堂発行、第二版1995年、第三版2000年、315-350頁。

 リンク: 浄土マンダラ研究会 

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