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多様性発現の遺伝学
--生殖細胞説と体細胞説
長い間、免疫学者の間でテーマになっていたのは、非常に数多
い--恐らく一億個以上の異なった種類の抗体をつくるために必要
な遺伝子が、一体どういう機構で世代から世代に受け継がれてい
くのか、ひとつの個体の中で非常に多数の遺伝子が、どういう機
構で維持されているかという問題である。いわゆる抗体の多様性
の遺伝的な起源がどうなっているかが長い間、問題になっていた。
一九七○年代の初めに、私がスイスの免疫学研究所に行き、こ
の問題を研究し始めたころには、二つのセオリーがあり、一つは、
非常に数多くの遺伝子を、それぞれの個体が両親からそのまま遺
伝子として受け継ぐ、いわゆる生殖細胞説という考え方と、それ
に対して、我々の体は、非常に限られた数の抗体遺伝子しか親か
ら受け継がないが、それぞれの個体の成長、発生の過程で何らか
の遺伝的な機構で多様性を出していくという体細胞説の二つの考
え方に分かれていた。
これに対して、それぞれの説に対する実験的な証明をなかなか
得ることができなかったが、一九七○年代になって、ようやく制
限酵素およびDNA組み換え手法が開発され、この方法を使って
複雑な生物のある特殊な蛋白質に対応した遺伝子の研究が可能に
なったのである。
抗体遺伝子は非常に特殊な構造を持っているが、生殖細胞の中
の、抗体を産生していない細胞の中の抗体遺伝子の様子を見てい
くと、これまで知られていたいろいろな遺伝子とは構造が非常に
変わっていることが分かった。たとえば一つの軽鎖の遺伝子がど
のようにDNA上に配列されているかを調べていくと、可変領域
と呼んでいる部分はDNA上で、ある距離を置いていくつかの配
列に分かれてコードされていることがわかった。さらに加えて、
不変領域をコードする部分は、可変部とは別のところにそれ独自
のDNAの配列があることも明らかになった。
それに対して抗体を産生している細胞、すなわちB細胞、Bリ
ンパ球の中のこの遺伝子の様子を見ていくと、生殖細胞の場合と
は様子が違い、可変領域に使われているDNAが完全に一連の配
列として存在している。すなわちVと呼んでいる遺伝子の断片と
Jと呼んでいる遺伝子の断片が、結合した形になっている(図2参
照)。さたに、この細胞で、この遺伝子が発現するときには、この
DNAを鋳型にしてRNAができ、そのRNAが核から蛋白質合
成の場所へ移る過程に編集作業が起こる。そうすることによって、
蛋白質の配列に直接関与していない配列--イントロン(介在配列)
と呼んでいる部分が除かれて、メッセンジャーRNAができ、そ
れがリボゾー ム(蛋白質を合成する物質)上で蛋白質が合成される
のである。
抗体遺伝子断片の再構成
ここでの発見の重要なポイントは、今まで考えられていた遺伝
子の挙動とは異なって、抗体遺伝子の場合には、細胞の発生、分
化の過程で、遺伝子の断片が再構成されることである。
この現象をさらに細かく調べていくと、重鎖の場合にはもう少
し複雑になる。重鎖の場合だと可変領域が二種類ではなく、三種
類のVとDとJと呼ばれている遺伝子の断片にコードされている。
その場合、この遺伝子が発現するためには、たくさんあるVのう
ちの一つと、たくさんあるDのうちの一つ、それからJのうちの
一つがつながった形になる。そうすることによって重鎖をつくり
出すことのできる完全な遺伝子となる。
こういう遺伝子が断片の形で生殖細胞に内在されていることの
意義は何かというと、この図3にあるように、重鎖の場合、約三
○○個のV遺伝子断片、それから二○個のD遺伝子断片、五個の
J遺伝子断片が生殖細胞の中に内在されており、細胞が分化して、
Bリンパ球ができる過程で、これらの三つの遺伝子の断片のプー
ルから1個ずつを選んできて、そのろいろな組み合わせで完全な
重鎖遺伝子ができてくる。そうすると、簡単な計算では、三○○
種類のV遺伝子断片、二○種類のD遺伝子断片、それから五種類
のJ遺伝子断片を全部組み合わせると二万四○○○種類の異なっ
た可変領域をつくり出すことができる。非常に数の少ない、せい
ぜい数百個の、親から受け継いだ遺伝子の断片から、二万四○○
○個にもおよぶ遺伝子をつくり出すことができる。この発見で、
体細胞説の正しさが証明されたわけである。
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