このウェブサイトの目的


このウェブサイトは、2012年よりMITの上級日本語の授業で実施している「改まった書き言葉」の指導法を紹介するために作成されました。時間的制約の大きいカリキュラムでも実行可能な、効率的かつ体系的な指導法の開発を目指し、実施ごとに試行錯誤と改善を続けてきました。指導法や実践内容だけでなく、その開発や実践に伴う発見や気付き、指導上の留意点なども掲載してありますが、同じように日本語を教えている方々の参考になれば幸いです。指導の対象レベルは、中級後半から上級前半で、これは大学で1学期15週間の週4時間授業で、4学期目ないし5学期目に相当します。尚、本サイトは、作文の内容指導ではなく、「書き言葉の決まりや形式」の指導に焦点を絞っています。

はじめに


「いつまでもうまく書けるようにならない。」

日本語学習者から、かつてこんな声をよく聞きました。特に自分の伝えたいことが比較的自由に話せるようになった中級後半以降の学習者は、

「文法も語彙もたくさん知っているのに、、、。

「話す時には別に困らないんだけど、、、。」

と、悩むことも多いようです。

中上級クラスではより難しい文法や語彙が導入され、ディスカッションやプレゼンテーションなどの活動を通して、学習者の口頭でのコミュニケーション能力は向上していく一方で、従来のカリキュラムでは、学習者の作文能力の伸び悩みが目立っていたのです。

彼らが書いていたのは、どのような文章でしょうか。下の作文例は、従来のカリキュラムで、日本語学習3年目の始めに「親としての責任」というテーマで書かれたものです。

子供が何才かによって全然違いますけど、学校に行ってる子供は、学生としてのいろんな責任がありますから、小さい子みたいに遊ばせちゃいけません。ちゃんと宿題をさせたり、教科書を読ませたりした方がいいし、勉強だけじゃなくて、家の中でも手伝わせなきゃいけないことがいっぱいあります。(略)やっぱり、親になるのはとっても大変でしょうね。

残念ながら、上級レベルとは言いがたい作文です。なぜでしょうか。まず文中の口語表現を赤くしてみましょう。「です・ます」以外の口語表現は太字にしてあります。

子供が何才かによって全然違いますけど、学校に行ってる子供は、学生としてのいろんな責任がありますから、小さい子みたいに遊ばせちゃいけませんちゃんと宿題をさせたり、教科書を読ませたりした方がいい、勉強だけじゃなくて、家の中でも手伝わせなきゃいけないことがいっぱいあります。(略)やっぱり、親になるのはとっても大変でしょう ね

どれほど口語表現に満ちているか、一目瞭然です。 話し言葉をそのまま文章にしているこの作文は、幼稚な印象ですが、「親としての責任」という成人の視点で捉えた内容を、小学生のような語彙や文体で書いているため、読者はさらに違和感を抱くのです。

学習者は何故、このような文を書き続けたのでしょうか。理由として筆頭に挙げられるのは、学習者の知識の欠如です。単純な事象の描写が中心であった初中級の作文と違い、中級後半以降はより複雑で抽象的な、批判的思考を要する意見文、評論、説明などへ移行します。従って、そのような内容に見合った書き方の決まりを習得し、訓練を重ねる必要があるのですが、従来は丁寧体か普通体で文体を統一するという決まりを初級で導入以降、上級終了まで特に改まって書き言葉の指導が行われることはありませんでした。中上級以降の宿題や作文などでは教師がその都度コメントして適切な書き方を提示し、時には授業で言及することもあったのですが、なかなか定着せず、そのまま指導なしに「だ体で書きなさい」という課題をいくつ与えても、学習者が自然に書き言葉の決まりを習得するとは期待できそうにありませんでした。こうして、話し言葉での限られた表現しかできない学習者は、冒頭に紹介したように自分の書く文に物足りなさを感じるようになっていったのでしょう。

では、なぜ従来は書き言葉の指導が行われなかったのでしょうか。長い間指導を困難にしていた主な要因は、カリキュラムの時間的制約と既存の教材不足です。まず、50分授業が週3、4回だけの会話主体のカリキュラムでは、書き言葉の指導のための時間が捻出できないという実状がありました。また、中上級の総合コース向けの教科書に含まれる書き言葉の指導用の教材はごく限られており、情報も断片的であるため、教科書に沿って授業を行うだけでは、書き言葉の習得にはつながりにくいという問題もありました。